大阪の旅:造幣局の桜

 平成24年4月17日の午後4時ごろ、大阪造幣局の桜の通り抜けの初日、桜見物に観光バスで出かけた。この日は快晴とは言えないが時折薄日もさす穏やかな1日であった。花の咲き具合は6~7分咲きという印象であったが、後で知った公式発表は5分咲き、入場者数は10万人弱ということである。夕方であったためか、押し合いへし合いの混みようでもなく、ゆったりと見物できた。
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 桜の通り抜けの日程は、早くから決まっているわけでなく、その年の開花状況に合わせて決まるので、今年も数日前に新聞発表があったばかりで、数か月前から決まっていた私たちの旅行計画も運よく桜見物に合わせることができたわけである。通り抜けの期間は1週間程度らしく、今年は4月23日(月)までとなっている。造幣局の敷地内を無料開放するものだから、門を閉じられてしまえば見たくても見られないのが普通の桜見物と違うところだ。開園時間は平日は10~21時、土日は9~21時で夜間はライトアップされる。飲食と自転車、ペットの入場はお断りである。
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           明治の威厳を示す守衛所と鉄柵

 桜の通り抜けも有名となり、地方から観光バスが押し寄せるので駐車場難は御多聞にもれず、私たちも大阪城公園の北詰、京橋口に近いところで降ろされ、観光バスはそこも駐車できずどこかへ消えてしまった。そこから寝屋川に架かる歩道橋、京阪鉄道本線をくぐる地下道、大川をまたぐ川崎橋(歩道橋)を渡り、かれこれ10分程度歩いて入場口にたどり着いた。
 近くには一般車の駐車場もないらしく、公共交通機関を頼らざるを得ない。最寄駅はJR東西線は大阪天満宮駅又は大阪城北詰駅から、地下鉄谷町線及び私鉄京阪本線利用は天満橋駅から、いずれも徒歩で15分というから交通至便とは言えない。
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 ところで、通り抜けというのは文字通り一方通行のわけで、造幣局の南門から入って北門を出ることになり、北門からの入場はガードマンが見張っていて出来ない。南門は大川に架かる川崎橋に近く、北門は大川の上流にあたる桜宮橋に近い。
 つまり、造幣局の通り抜けは大川の流れに沿って右岸にあるわけで、その大川はもう少し下流で大阪の中心、中之島に至り堂島川と土佐堀川に分かれる。
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          大川に架かる川崎橋
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          大川に架かる桜宮橋

 さらに付け加えれば、大川の岸辺は立ち入り自由の遊歩道(といっても桜などの植栽のある幅数十メートルのもの)となっていて、そこから高さ2~3mの段差を付けて造幣局の敷地となり、遊歩道沿いに通り抜けがある。
 通り抜けは逆行できないので、見残した桜やもう一度桜見物がしたければ北門を出て遊歩道を逆行して南門近くまで戻り、再入場するほかない。遊歩道には露店がいっぱい立ち並んでいるので飲食はそこで可能である。
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          遊歩道に並ぶ露店

 前置きが長くなったが中に入ってみよう。通り抜けの延長は南門から北門まで560mで、そこに120品種、350本の主に八重桜が植えられている。通り抜けの道の左側は造幣局の建物が続き、右側は一段下がって大川沿いの公園(遊歩道)となっている。
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          後は造幣局の職員宿舎
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          バックは造幣局の古風な窓
 
 道幅は場所によってまちまちだが、おおよそ10~20mぐらいであろうか。その両側と道中央の3条に桜が植栽されている。植栽場所には、人が踏み込んで根を痛めないようにひざ下までの低い柵で仕切られている。
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 入って驚くのは八重桜の厚ぼったい豪華さである。ふだん見慣れているソメイヨシノの楚々とした風情とは違った絢爛さである。それも薄グリーンに近い花から、濃いピンクの花まで一本一本諧調の違う色が混ざり合って妍を競っているさまは目を奪うばかりである。350本の桜が120品種に分かれて植栽されているのだからそれもそのはずである。
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 通り抜けは明治16年(1883年)に始まったという長い歴史があるが、当初はこれほど多品種ではなかったらしい。戦災で焼かれた桜も多く、戦後通り抜けが評判を呼んだころから、造幣局も全国の珍しい桜の蒐集に身を入れ今日の多品種になったという。各品種にはその由来を書いた立札がそばに立っており、とても全部読んでいるわけにはいかない。
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 造幣局では、毎年一品種を取り上げて「今年の花」として紹介している。今年は「小手毬(こでまり)」という品種が紹介されている。見ると大きな花弁が密集したピンクの八重桜で、よく知られているバラ科の白い小球花の「こでまり」とは似ても似つかない花にびっくりする。
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          今年の花「小手毬」

 また、通り抜けには貨幣セットや造幣局が作る工芸品の販売所が設けられ、買い求める人の列が見られた。道の中ほどには貨幣博物館の入り口もあったが、通り抜け期間中は閉館とあった。鉄の門柱には菊の御紋章がはめられ大日本帝国の名残を見せていた。
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              菊の御紋章の入った門柱

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