静岡県の旅:修善寺温泉

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          修善寺温泉のシンボル 独鈷(どっこ)の湯

平成27年10月1日 (木) 曇り
 修善寺温泉は私にとって何となく謎めかしく、旅情をそそる地名である。それは私が、内容は知らないけれど「修禅寺物語」という戯曲の題名だけは知っていることや、地名が寺の名に由来するらしいせいかもしれない。
 なお、修禅寺物語は明治44年岡本綺堂が発表した戯曲で、鎌倉幕府2代将軍源頼家の修善寺での死を背景に、この地に住む面作り師夜叉王の名人気質を描いたものという。このほか多くの文芸家が修善寺を題材に作品を発表し、映画や舞台にもしばしば取り上げられこの地を有名にしていると知る。
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            修善寺温泉街
 
 ともかく、昨日は宿に着いたのが日暮れだったので、起床するなり朝食前に温泉街を散策する。宿に最も近い修禅寺(寺の名は禅という字を使う)は後回しにしてその横の日枝神社に向かう。巨木に囲まれ由緒深さを感じさせる。参道を下り温泉街の中心を流れる桂川のほとりにたたずみ、みゆき橋下手の急流にしばらく見とれる。上流には朱塗りの欄干の橋がいくつも架かり温泉情緒をかもしている。川の両側がなだらかな山となり、その谷合いが温泉街となっている。
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            日枝神社参道
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           温泉街の中央を流れる桂川

 川の右岸を上流に戻り指月殿を目指す。観光スポットは随所に案内標識があるので温泉マップを片手に迷うことはない。指月殿手前の路地の苔むした石段や民家のたたずまいは、まるで明治・大正の温泉街へタイムスリップしたようで古めかしさが魅了してやまない。
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            昔の温泉街の情緒を残す石段

 歩みは源頼家家臣十三士の墓、源頼家の墓、指月(しげつ)殿と続く。頼家は頼朝の子で18歳で鎌倉幕府第二代将軍となり、在位5年(1199~1203年)で政争に敗れこの地に配流され、祖父北条時政の手で入浴中に暗殺され非業の死を遂げたという。墓は小さなものだ。指月殿は頼家を弔うため母北条政子が建立、あまたの経文をここに寄進したという。手入れの行き届いていない古びた建物で、伊豆では最古の木造建築という。
 さらには頼朝の弟範頼も、頼朝の誤解によりこの地に幽閉され1193年死亡し、暗殺説、自刃説がある。墓は修善寺の別の地にある。それにしても権力者の家族関係はどうなっているのだろうと思わされる。指月殿の下には修善寺彫の店や古美術の店の看板が見えるが、早朝の開店前のため中をうかがうことはできない。
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      鎌倉幕府二代将軍源頼家の供養塔(墓は供養塔の後ろに隠れて見えないほど小さい)
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          頼家の母北条政子が立てた指月殿
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            修禅寺彫の店(指月殿の下)

 次いでどっこ(独鈷)の湯公園に出る。弘法大師が独鈷という仏教法具を使って修善寺温泉を掘りだしたとされる模造品が公園に突っ立っている。さらに上流に進むと竹林の小径に出る。竹林に囲まれた小径で、中心に円形の竹製の休み台があって、寝転んで竹林の穂先を眺める。竹林の合間から漏れる柔らかな斜光線が小径に差し込みよい雰囲気だ。ここで折り返し、楓橋を渡り下流に向かって川の左岸沿いを歩く。川の流れは水量は少ないが小石を噛み、岸辺を臨んで古い旅館の客室が並んでいる。新井旅館(国の登録文化財)のような木造の窓辺を見ると、こんな所に泊まってみたいと思わせられる。情緒たっぷりの遊歩道を右顧左眄(うこさべん)しながら歩く。
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写真中央の細長いのがどっこの湯公園の独鈷という仏教法具の模造品(弘法大師がこれを使って温泉を掘りだしたといわれる)
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            竹林の小径の中程の休憩台
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         桂川(写真左)沿いの散策路(写真右は古い旅館の窓辺)

 すると河原湯という足湯が現れ、続けて眼下の川の中州に独鈷の湯という温泉が目に飛び込む。伊豆最古の温泉とうたわれ、弘法大師が掘り当てたという修善寺温泉のシンボルで、今は足湯となっている。周囲は頑丈な岩で固められ屋根掛けしてあるが側面は柵だけなので見通すことができる。左岸から橋で渡ることができるが、アベックが話し込んでいる様子に、内部見物をつい遠慮してしまう。こうして修禅寺門前まで戻り、修善寺温泉モデル散策コースをほぼ1周したことになり宿に帰って朝食をいただく。
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          今は足湯となっているどっこの湯
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          修禅寺山門(公道より少し上がったところにある)

 宿の支払いを済ませて修善寺駅に向かう前、曹洞宗修禅寺を拝観する。この寺は807年弘法大師の開基とされ戦禍や火災でいったん衰えたが、北条早雲が再建に尽くし今日に至っている。境内は広いほうではないが古刹らしい整った、たたずまいである。小さな宝物殿も、修禅寺物語の原作となった古面など見るべきものがある。
 それにしても弘法大師ゆかりの地が日本全国いかに多いことか。本当だろうかと思ってしまう。
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            修善寺駅ホーム


 

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