三重県の旅:東海道 関宿ぶらり(1)

 平成24年5月の連休の一日、関宿(三重県亀山市関町)をぶらり歩いた。関宿は東海道53次のうち、江戸から数えて47番目の宿場であり交通の要衝であった。即ち、宿場の西はずれ「西の追分」では大和街道(奈良方面)と分岐し、宿場の東はずれ「東の追分」では伊勢別街道(伊勢神宮方面)と分岐するため、三つの街道が合流する地として、参勤交代や伊勢参りで大いに賑わった所である。1843年の調査では総戸数632、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠(はたご)42軒があったという。
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東の追分には伊勢別街道に向かって伊勢神宮一の鳥居がある。遷宮が終わると宇治橋南詰の鳥居がここに移される。京・江戸間を行き来して伊勢参りができない旅人は、ここで伊勢神宮に向かって遥拝したという。手前が東海道で鳥居の先が伊勢別街道。
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           伊藤本陣跡

 加えて古代3関の一つ「鈴鹿関」が置かれていた所であり、「関」の地名もこの鈴鹿関に由来している。関所は延暦8年(789年)廃止されてのち詳細な位置や規模はわかっていないが、近年の調査で宿場の西端あたりでその跡が確認されている。
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             新緑を背後にした関宿

 関宿の何よりの見どころは、古い宿場の名残がとてもよく保存されていることである。今に江戸・明治期の民家が多く残っており、しかも1.8km、の長きにわたり約200戸の家が途切れることなく続いている。街道は多少「く」の字気味の一本道で路地に迷い込むようなこともない。一部は観光施設やお土産物屋もあるが、多くは普通の民家であり地味な庶民の暮らしが営まれているだけの変わり映えのしない町並みである。 見どころの多いのは関の地蔵院から東の、宿場の中央部(中町あたり)で、はずれに向かうと商店は少なくなっている。中央部には高札場(江戸時代の掲示板)も復元されている。
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 関の地蔵院 建物は国の重要文化財 関が宿場として栄える前は地蔵院の門前町であった。
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        人通りも少ない関宿の東はずれ方向
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            高札場

 通りはどこの田舎とも同じように、あっけないほど静かだが、電線が地中埋設され電柱が一本もなくすっきりとしているので、「おや、ここはどこか違うぞ」と気付く。それもそのはず、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。道幅は普通車がやっとすれ違える程度で、これが繁華を誇った江戸時代の1級国道かと思うと感慨深い。
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 関宿で最も目につくのが通りに面した格子戸だ。昔よく目にした細い木の縦桟で建物を覆い、その内側に障子やガラス窓がはめられているあの造りである(建築知識がないのでうまく表現できません)。最近建て替えた家も格子窓にしてある。通りのほぼ8~9割はこんな造りで、住民の中には建て替えに際して今風の家を建てたい希望があっても協力していただいているのだろう。
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 そして、ビルはなく木造の平屋もしくは2階建てである。銀行や郵便局も景観を壊さないよう和風に作られている。よくよく奥を覗くと洋風の家もあったが通りに面しては格子戸の塀で仕切られていた。
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           銀行の支店

 目を2階に転じても格子窓が多く、商家の2階は虫籠窓(むしこまど、漆喰で塗り込めた格子窓)となって様々な形を見ることができる。
 また、1階と2階を仕切る軒先に小さな鶴、亀、虎、龍、鯉などの漆喰彫刻を見付けることもできる。私が宿場の西の方で見かけた鶴の彫刻は感嘆するほどの出来栄えである。これらを鏝絵(こてえ)と言うのかどうかは知らない。
 和風の軒先はツバメも巣を作りやすいのだろうか、あちこちで巣を見かけ親ツバメが行き交っているのもこの時期らしい風物詩だ。
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        1階の格子戸と2階の虫籠(むしこ)窓
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           鶴の漆喰彫刻
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          これはバラの漆喰彫刻だろうか

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